カテゴリー: 風土産業

  • 小沢喜仁 (Ozawa Yoshihito)

    小沢喜仁 (Ozawa Yoshihito)

    一般社団法人 風土産業研究所 理事

    「和の力」で人と人,地域とを繋ぎ、共に豊かな未来を創る

    私は,これまで,生まれ故郷である山梨から、大学院の学び舎がある仙台,そして長年にわたり教育・研究の情熱を注いだ福島大学が所在する福島へと,多くの人と地域に支えられながら歩みを進めてきています.その道のりの中で一貫して実感しているのは,「仲間のたいせつさ」であり,人と人との繋がり,地域がもつ文化や自然環境との繋がりとのたいせつさです.
    研究としては,ものづくりの基盤である機械工学,なかでも材料力学に興味を持ち,複合材料の開発研究をテーマとして取り組んできました.「複合材料」とは,2つ以上の素材を組み合わせて,それぞれの素材にはない優れた特性や機能をもつように設計された材料のことです.この複合材料の発想は,近年科学の飛躍的な発展をなすときの基本要素である「イノベーション」とよく似ています.
    「イノベーション」は,人々の暮らしや仕事のスタイルなどにおいて社会的な変革をもたらすような革新的技術開発のこととされてきました.最近では,イノベーションとは,物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」を創造することにより,新たな価値を生み出し,社会的に大きな変化を起こすことであるともされています.その成果は,これまでの効率追求主義の閉じた世界で想定される理論値への漸近的な変化やその取り組みの延長線上には生じないものです.これまでとは異なる多様な人の集合や関与,それらの多様な考え方や理論・方法,多様性を有する社会への貢献への意識などを総動員して,課題解決にチャレンジするときに得られる創造的な成果と考えられています.
    東日本大震災と原子力発電所事故災害からの復興と創生という,前例のない巨大な課題(ニーズ)に対峙する中で、この解決困難なコトこそがイノベーションの源泉であることを改めて認識しました.それを突破する鍵は,市場のニーズを適切に捉えるニーズオリエンテッドな発想です.企業が有するシーズを活用しながら,企業自らが提案・開発型へと変革していくことが重要になっていると考えています.
    このためには,コアとなる企業を中心に,他企業や大学,そして行政などが枠組みを超えて結びつく「和の力」,すなわち「仲間のたいせつさ」にあるということです.ふくしまで育まれる最先端ロボットや再生可能エネルギーなどの先端技術が,やがて日本中,世界中の課題を解決する「風土産業」へと育つことを期待しています.
    私たちが向き合う「風土」や「産業」の本質は,それぞれ,孤立したものではありません.その土地の歴史,自然,そして何よりもそこで生きる人々の「和(想いの繋がりと調和)」があってこそ,真の輝きを放ちます.一人ひとりの個性を尊重し,国境や立場を超えてすべての人を温かく包み込むような場としての「地域」からしか、持続可能で豊かな社会は生まれないのではと思います.
    当研究所は,地域社会の多様な課題に対して,単なる理論の提示に留まらず,人と人,地域と地域を「和の力」で結びつける架け橋でありたいと願っています.志を同じくするたいせつな仲間と共に,知恵を絞り,汗を流し,育ち,一人一人が自分らしく輝ける未来を目指して活動を続けて参ります.
    皆様の温かいご支援とご参画を,心よりお願い申し上げます.

    経歴

    山梨県立甲府第一高等学校卒業 山梨大学工学部機械工学科卒業東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修了(工学博士)
    東北大学工学部助手,福島大学准教授,教授を務めたのち,
    同理事・副学長(研究および地域連携担当)などを務める

    専門は,機械工学,なかでも材料力学.
    複合材料をテーマとして,微視的力学の観点から,破壊の様相を明らかにするとともに環境にやさしい複合材料の開発評価に取り組んできた. 東日本大震災以降,福島県の復興と創生と食の安全に取り組んできている

    現在の職など

    福島大学 名誉教授,東北大学 特任教授
    公益財団法人 福島イノベーション・コースト構想推進機構 理事
    福島イノベ倶楽部 会長
    公益財団法人 福島県国際交流協会 理事長
    一般社団法人 風土産業研究所 理事

  • 羽山信宏(はやまのぶひろ)

    一般社団法人 風土産業研究所 理事 

     広島県生まれ、広島大学を経て、マツダの入社、マツダのパワートレイン部門のトップとして、マツダのブランド・技術力の代名詞ともいえる「スカイアクティブエンジン」の開発を統括・指揮しました。 また、1991年のルマン優勝の影の立役者として、ロータリー中興の祖として知られています。 著書「つくりたいんは世界一のエンジンじゃろうが!」、「世界一」のエンジンを目指し、これまでの性能競争に終止符を打つべくエンジンのあるべき姿を「機能」で考え抜き、燃焼のカラクリを解きあかしていく「機能で考える開発」により、メンバーの思い・目的を重ね合わせ、世界一の熱効率を誇るエンジンの開発に成功しました。その後、マツダ株式会社取締役執行役員専務を最後に退社され、2013年:株式会社電通国際情報サービス:略称ISID(現株式会社電通総研)の100%子会社:ISIDエンジニアリングの設立に参画され、その後、株式会社電通国際情報サービス(現株式会社電通総研)特別アドバイザーを経て、現在は一般社団法人 風土産業研究所の発起人、理事に就任。これまでの自身の開発経験をもとに、開発現場の生々しいトピックを織り交ぜ、「開発とは・エンジニアとはどうあるべきか?」について、生活者視点・経営者視点・技術者視点を持って講演活動・発信活動を継続している。

    著作:つくりたいんは世界一のエンジンじゃろぅが! (B&Tブックス) 単行本 – 2014/9/28

    「連載:羽山信宏のつれずれなる風土産業記」、ぜひ、ご一読ください。

    羽山信宏のつれづれなる風土産

  • 榊 純一(Sakaki Junichi)

    榊 純一(Sakaki Junichi)

    一般社団法人 風土産業研究所 代表理事

    • 経歴
      • 秋田県立秋田高等学校 卒業
      • 東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修了
      • 株式会社IHI(旧・石川島播磨重工業)入社
        • 長年にわたり航空エンジンの性能およびシステム設計の第一線で活躍し、同分野における高度な専門性と研究業績を有する。同社において常務執行役員、顧問を歴任した後に退社。
    • 現職・要職
      • 秋田銀行 社外取締役
      • 秋田大学・秋田県立大学 電動化システム共同研究センター センター長
      • 秋田大学 学長特別補佐
      • 秋田県立大学 学長特別補佐・客員教授

    【活動への想い】
     長年、グローバルな最先端産業の勢流の中に身を置いてきましたが、いま改めて、地元・秋田をはじめとする地域社会の発展と次世代の育成という「足元にある風土の豊かさ」に強く引き戻され、その可能性に魅了されています。

     制度の形骸化や人口減少といった地域の厳しい現実に正面から向き合い、産業界とアカデミア(教育・研究機関)の架け橋として多面的なプロジェクトを牽引するとともに、風土産業研究所の代表理事として、地域に眠る資産や暗黙知を価値化し、若い挑戦者を社会全体で育む「It’s OK文化」の定着に向けて活動して参ります

    /https://www.fudoii.org/2026/02/20/代表理事挨拶/

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その7

    諏訪・岡谷の地を訪ねて

    2026年5月、新緑が美しい季節、私は風土産業研究所の仲間である武田さんとともに、ものづくりのDNAが脈々と受け継がれる長野県岡谷市、そして諏訪市を訪問した。地域に眠る気候風土、歴史、そして人々の情熱をいかにして現代の、そして未来の「風土産業」へと昇華させるか。対話と発見に満ちた、極めて濃密な経験であった。

    岡谷の未来を紡ぐ:「岡谷たる産業を考える」ワークショップの熱気

    今回の最大の目的地は、岡谷市役所で始まったひとつの熱い企ての実践であった。

    かねてより岡谷市工業振興課の真田課長、石黒さん、そして岡谷市の産業大使でもある武田さんと私の4人で、「岡谷のさらなる発展と活性化のために、我々ができることは何か」と知恵を絞り、計画を立案してきた。それが、「岡谷たる産業を考える」ワークショップである。当日は、地域の産業界、行政、経済団体、金融機関、そして教育機関など、多様なバックグラウンドを持つステークホルダー30名が一堂に会した。

    状況が人を働かす―共育から始まる風土産業

    冒頭、私から参加者の皆様へ、風土産業に寄せる切なる思いをお話しさせていただいた。

    そして、「環境や状況こそが人を動かし、働かせる。だからこそ、地域の未来の目標を『共有』し、共に育む『共育(ともいく)』の姿勢が不可欠である」

    グループ討議に入ると、会場の熱量は一気に高まったと感じました。参加者からは、

    • 「多様な視点に触れることができた」
    • 「立場を超えたフラットな対話が心地よかった」

    といった高い満足度の声が聞かれた。一方で、「もっと話し合う時間が欲しかった」「一過性のイベントで終わらせず、次にどう繋げるかのロードマップが見たい」という、前向きかつ切実な要望も飛び交った。メンバー集めに奔走してくださった岡谷市工業振興課の皆様には、心から感謝を申し上げたい。この「出会いと気づきの場」を起点に、今後の風土産業活動へどう着地させていくか、我々の真価が問われるのはこれからである。

    待つ技術から、攻める指導へ:長野県工業技術技術総合センターへの提言

    石黒さんのご配慮により、地域の技術革新の要である「長野県工業技術総合センター精密・電子技術部門」を視察する機会に恵まれた。

    センターに一歩足を踏み入れて驚いたのは、工学技術や品質技術など、あらゆる分野の実験解析を極めて高いレベルで実行できる素晴らしい設備環境、そしてそこで機能する技術者の方々の卓越した専門性であった。依頼試験や技術相談、設備利用のスケジュールはほぼ満杯であり、技術者の皆様が日々多忙を極めている姿が印象的であった。

    「認知の壁」を破るアクティブ・アプローチへ

    しかし同時に、これほど強力なアセット(設備・人材)がありながら、地域の企業にその存在や実力が十分に知れ渡っていないという「認知の課題」も浮き彫りになった。センター側も「もっと宣伝が必要だ」という認識をお持ちであった。

    そこで私は、単に広報を強化して「相談を待つ」という従来の手法に留まらず、一歩踏み込んだ提案をさせていただいた。技術者自らが積極的に地域の企業へと足を運び、現場の潜在的な「困りごと」を掘り起こす。これこそが、風土に根差した中小企業を救う、真のアクティブな技術指導(実践研究)に繋がるのではないだろうか。

    丸高蔵の歴史に「学びの場」を:宮坂平馬氏の大きな構想に寄せて

    ご縁があり、諏訪の地に移動し、高島藩の御用酒屋をルーツに持ち、近代は「神州一味噌」の醸造を担ってきた象徴的な場所、「丸高蔵」を訪ねた。現在は、この歴史的土地建物を活用して株式会社「味百味」を経営されている宮坂平馬氏にお話を伺い、広大な蔵の内部をご案内いただいた。広大な敷地に佇むいくつもの蔵は、圧倒的な歴史の深さを醸し出す一方で、「古くなった建物や設備を現代にどう生かすか」という重い課題も突きつけてくる。宮坂氏が掲げる「諏方圏経済の自立性、地産地消、自給自足」という壮大なグランドデザインに触れ、深い感銘を受けた。

    歴史の空間を、子どもたちのエネルギーで満たす

    この地を見学しながら、私の脳裏にひとつの情景が浮かんだ。

    これほど深く、広い歴史の空間であるならば、ここを子どもたちが自由に考え、五感を使って遊ぶことができる「学びの場(共育の場)」にしてはどうか、ということだ。

    自然豊かな環境、そして先人たちが築いた歴史と文化に直接触れることで、次世代の郷土愛と創造力が育まれる。宮坂氏が目指す大きな構想への「第一歩」として、このような原体験の場を作るお手伝いができればと、胸が熱くなった。

    神話と歴史が身近になる瞬間:SUWAエクスペリエンス・林聡一さんの導き

    旅の締めくくりは、諏訪信仰の核心へと迫る時間となった。案内役は、観光案内の専門家であり、我らが風土産業研究所の仲間でもある「SUWAエクスペリエンス」代表・林聡一さん。林さんのナビゲートのもと、諏訪大社上社本宮、上社前宮、そして神長官守矢資料館を巡った。
    参考:SUWAエクスペリエンス | 諏訪の信仰と文化を案内するガイド会社

    専門家の「語り」が、風景に命を吹き込む

    もし林さんの解説がなかったら、私はただ「歴史ある神社を参拝した」という表面的な満足だけで通り過ぎていただろう。しかし、林さんの口から語られる諏訪大社の歴史、土着の神話、「特殊神事」と呼ばれる神事や「天下の大祭」とも言われる行事の本当のいわれ、そして神長官の果たしてきた役割を聞くうちに、点と点だった知識が繋がり、諏訪大社という存在がいきなり私自身の身近なものとして立ち現れてきた。

    諏訪全体の成り立ちと人々の営みの繋がりを、おぼろげながらも明確に脳裏に描くことができたのは、ひとえに彼の卓越したガイドの賜物である。

    あらためて、「地域にいる専門家の力を、もっと社会や産業に活かすにはどうすればいいか?」という、心地よい宿題を突きつけられた一日となった。林聡一さん、最高のナビゲートを本当にありがとうございました。

    結びにかえて

    岡谷・諏訪を巡る旅で確信したのは、この地域には「状況が人を働かす」ための最高の土壌(気候風土、技術、歴史、そしてリーダーたち)がすでに揃っているということだ。

    ワークショップで火がついた多様なステークホルダーの熱い思いを一過性で終わらせないために。そして、長野県工業技術センターの高度な技術や、丸高蔵のような歴史的遺産を次の時代へ繋ぐために。

    私たち風土産業研究所は、これからも地域の方々と「目標を共有」し、「共育」の伴走者として実践を続けていく。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その6

    備後絣 —伝統の「糸口」から紡ぐ新たな価値—

    訪問の背景と目的

    2026年3月、風土産業研究所の仲間である武田さんとともに、広島県福山市神辺(かんなべ)を訪れた。今回の目的は、武田さんの知人であり、現地で花﨑リボン株式会社を経営されている花﨑吉隆さんにお会いすることである。繊維の街として知られる福山の地で、日本三大絣の一つである「備後絣(びんごがすり)」の歴史や現状、そして未来への思いを伺うべく、実りある対話の時間を設けていただいた。

    福山の風土が育んだ繊維の歴史

    花﨑さんのご案内のもと、新装された「福山城」と「福山市しんいち歴史民俗博物館」を巡り、この地に根差す産業のディープな足跡を辿った。

    福山城で知る「イ草」と「綿作」のルーツ

    福山城のパノラマビジョンは、古代から現代にいたる街の変遷をダイナミックに伝えてくれた。

    • 地理的背景: 古代、現在の福山市中心部のほとんどは海の中であり、瀬戸内海の「潮待ちの港」として鞆の浦(とものうら)が栄えていた。
    • 水野勝成の功績: 江戸時代、初代藩主・水野勝成は、この地の特性を見抜いて「イ草」の育成を奨励・保護。これが後に「備後畳表」として日本全国へ流通する一大ブランドとなった。
    • 綿作の広がり: 同時に勝成は綿作も奨励。これが農家の副業として定着し、のちの繊維産業の強固な土台(綿作・綿布)となった。

    しんいち歴史民俗博物館で見る「備後絣」の栄枯盛衰

    福山市北部の主要産業であり、現代の繊維産業の礎となったのが「備後絣」である。

    • 誕生: 江戸時代末期、芦田町の富田久三郎が考案。
    • 全盛期: 昭和30年(1955年)には、国内の絣生産量の実に70%を占めるまでに成長した。
    • 現在: 博物館では、職人たちの精緻な生産プロセスや多種多様な絣の模様が展示されており、現在は地域の方々と一体となった保存活動が進められている。

    現代のモノづくり現場:花﨑リボン(株)の挑戦

    今回お話を伺った花﨑さんは、小物や衣料に欠かせない「リボン」を編む工場を経営されている。現代の製造業が直面するリアルな実態について、大変興味深いお話を伺うことができた。

    【花﨑社長のお話から】

    リボンは最終製品(完成品)ではないため、トレンドや顧客のニーズに合わせて非常に多くの種類(多品種)が必要となる。そのため、同じものを大量に生産すればよいという時代ではない。しかし、それでも「本物のクオリティ」を求める確固たる生産依頼が今もしっかりと届いている。

    この言葉からは、時代の変化に柔軟適応しながらも、福山の繊維技術の底力を守り続ける誇りと実直さが伝わってきた。

    総括と考察:歴史を「保存」から「未来」へ

    今回の福山訪問は限られた時間であり、備後絣の膨大な情報や、実際の生産現場のすべてに触れるまでには至らなかった。その点は一抹の心残りである。

    かつて国内有数のシェアを誇り、誰もが一度はその名を耳にしたことがある「備後絣」。しかし、現代においてそれが博物館のなかの“保存されるもの(過去の遺産)”の仲間入りをしてしまっているように感じられたことは、産業の未来を考える身として少し寂しく、危機感を覚える部分でもあった。

    しかし、落胆しているだけでは始まらない。

    「温故知新(旧きをたずねて新しきを知る)」

    集約された職人の手技、藍染めの風合い、そして花﨑リボンさんのような現代の編織技術。これらを掛け合わせることで、現代のライフスタイルに響く「新しい価値」を作り出せる糸口が必ずどこかにあるはずだ。手元にある備後絣の資料をそっと眺めながら、その「糸口」をどう手繰り寄せるか、今も思考を巡らせている。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その5

     〜会津・喜多方、水と誇りの街をゆく〜

    会津・喜多方へ

    2026年4月、風土産業研究所の仲間である小澤さん、武田さんと一緒に会津・喜多方を訪ねた。小澤理事が福島でどれほど深く復興と地域創生に命を吹き込んでいるか、その活動の現場にこの目で触れるための視察である。

    郡山から車を走らせて喜多方へ向かう道中、いきなり心を奪われた。峠を越えるときに目に飛び込んできた、まさに満開の桜!磐梯山の麓をぐるりと巡っていくと、表磐梯と裏磐梯でまったく表情の違う荒々しくも美しい自然が代わる代わる現れた。そして目の前にどんと広がる檜原湖の吸い込まれそうなほどの雄大さ。ただ移動しているだけなのに、この土地の持つ圧倒的なエネルギーに早くも圧倒されてしまった。

    彌右衛門さんとの出会い

    喜多方市に着いてすぐにお会いしたのが、大和川酒蔵の会長であり、会津電力の特別顧問、会津エナジーの代表取締役でもある佐藤彌右衛門さんだ。彌右衛門さんは、私たちが到着するやいなや「まずはここへ行こう」と、“満天テラス”という場所へ連れて行ってくれた。

    テラスに立つと言葉を失った。喜多方市の東側にある小高い山麓に位置するその窓からは、会津盆地が文字通り一望できるのだ。西側の正面には喜多方市、目を少し北に向ければ、4月だというのにまだ真っ白な雪をどっさりと抱いた飯豊連峰がそびえ立ち、左を見れば会津若松市の街並みが遠くまで見渡せる。

    その絶景を背に、彌右衛門さんが開口一番、こう言った。

    「会津は本当に素晴らしいところです」

    その声のトーン、表情、みなぎる自信。私は言葉にできないほどの強い感動を覚えた。そしてその発言されたときの姿・景色が脳裏に焼き付いて離れなくなった。自分の故郷に、自分が暮らす地域に、これほどの誇りを持てる人がどれだけいるだろう。これだ、この圧倒的な誇りこそが、彌右衛門さんを突き動かすエネルギーの源なんだと理解した。彌右衛門さんの話は、この素晴らしい会津の「地形と水」へと繋がっていく。「会津は水の豊かなところです。阿賀川・阿賀野川水系があり、さらに東には猪苗代湖がある。そしてね、猪苗代湖と、いま目の前に見えている会津盆地には、実に280メートル以上もの標高差があるんですよ。この落差は、ものすごいエネルギーを生むのです」

    そう熱弁する彌右衛門さんの言葉を聞きながら、さっき車窓から眺めてきた景色と、いま目の前に広がる大パノラマをもう一度思い返した。「なるほど、その通りだ……!」と、身体の芯から納得がいくような感覚だった。

    会津・喜多方の挑戦

    壮大な挑戦のきっかけは、あの福島第一原子力発電所の事故だったという 。「もう一度、自分たちの福島、そして会津のエネルギーのあり方を根底から考え直さなきゃいけない」、そこからすべてが始まった 。 地元で泥臭くシンポジウムや勉強会を何度も何度も繰り返し、ただの理念ではなく「会津の水」を本気で地域発展と活性化のブースターにするための活動へ泥臭く発展させていったのだ。その執念が形になり、彌右衛門さんが中心となって2013年に会津電力を、2020年には会津エナジーを設立し、今日まで引っ張ってきた。

    「地元の皆さんにこの水の大切さを理解してもらい、もっともっと活動の輪を広げたい」と、次のシンポジウムの仕込みもすでに始まっているそうだ。会津の自然、そして財産である「水」に感謝し、それを地域の未来に直結させるために活動してきた軌跡。その生きた言葉を直接聴かせていただき、私自身、胸が熱くなると同時に、これ以上ない学びの機会をいただいたと感謝の念でいっぱいになった 。

    ……と、真面目な話はここまで(笑)。

    美味しいお酒を酌み交わし

    その夜は、お楽しみの大和川酒蔵さんの最高に美味いお酒を囲む時間だ 。彌右衛門さんはもちろん、大和川酒蔵の皆さん、会津電力の磯部さん、プロジェクト会津の中山さんも交えて、車座になって盃を酌み交わした 。会津の極上の銘酒のおかげで、心の壁なんて一瞬で溶けてしまい、笑いと熱い議論が絶えない、本当に楽しい、最高のひと時を過ごすことができた 。

    最後になりますが、今回の訪問で家族のように温かく迎え、お世話してくださった彌右衛門さんをはじめ、出会ったすべての皆さんに心からの感謝を捧げて、この筆をおくことにします。

    会津、本当に素晴らしいところでした!ぜひ、風土産業研究所として何かご一緒させていただきたいと思います

    以上