3.1 状況が人を動かす――リーダーとして考えたこと
バブルの熱狂が去り、マツダはかつてない窮地に立たされていた。フォード・モーターの資本を受け入れ、再起を図る日々。経営の立て直しという至上命題のもと、資産は切り売りされ、投資は極限まで絞られた。当然、莫大な資金を要する「新型エンジンの自社開発」など、許されるはずもない。代わりに突きつけられたのは、フォード製のエンジンを採用せよ、という合理的な選択肢だった。
しかし、現場のエンジニアたちの魂は、その合理性に抗っていた。マツダのアイデンティティである「人馬一体」の走り、あの小気味よい「キビキビ感」をお客様に届けるには、既存の借り物では到底及ばない。
「どうすれば、この絶望的な状況で新エンジンを作れるか」、挑戦は、そこから始まった。合言葉は「世界一のエンジンを定義し、フォードすらも欲しがるものを作る」こと。誰の目にも明らかな価値を生み出せば、道は拓けるはずだ。そうして関係者全員が心を一つにし、結実したのがのちの「SKYACTIV ENGINE」である。
振り返ってみて、当時のリーダーであった私が「世界一を目指せ」とか「フォードに恩を売れ」と、声高に指示した覚えはない。むしろ私が心を砕いたのは、その逆のことだった。私は、マツダが置かれた厳しい経営状況や、提携先とのパワーバランスを、できるだけ生々しく、かつ定量的なデータとして現場に示し続けた。隠しごとのない「不都合な真実」を、包み隠さず共有することに徹したのだ。状況を正しく知ったとき、人は変わる。エンジニア一人ひとりが、今の危機を「自分ごと」として捉え始めた。自分はこの状況下で何をすべきか、何ができるのか。自問自答し、仲間と夜を徹して語り合う中で、彼らは自発的に自分たちの進むべき道を決めていった。
その熱量が、熱効率で世界一を塗り替えるエンジンの構想を産んだ。構想を実現するため、彼らはエンジン内部で起きる複雑な現象を徹底的に解析し、緻密な定量的モデルを構築するという、気の遠くなるような挑戦に自ら飛び込んでいったのである。
リーダーの役割とは、トップダウンの命令を下すことではない。関わるすべての人々が主役となり、その持てるエネルギーを100%発揮できる「場」を整えることにある。
「こうしろ」と指図するのではなく、「今、我々はここにいる」という状況を正しく、深く共有すること。事実を鏡のように映し出すことが、結果として組織の意志を研ぎ澄まし、不可能を可能にする最大の原動力になるのだと、私は確信した。
