カテゴリー: 羽山信宏つれずれなる風土産業記

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記  その4

    共に育ち、風土を拓く――「指示待ち」の時代を超えて

    マツダでの「SKYACTIV」という奇跡に近い開発経験は、私の中で一つの確信に変わりました。そして今、私はその成功体験の舞台を、自動車産業から「地域創生」という広大なフィールドへと移そうとしています。締めくくりとして、製造業の歩みとこれからの社会、そして「風土産業」と「共育(ともいく)」への想いを綴ります。

     かつて日本の製造業が世界を席巻した背景には、1970年代から徹底された「手順化」と「標準化」がありました。規律を重んじ、教えられたことを正確に実行する。その真面目さと協調性が、日本流の効率化を支え、高品質なものづくりを実現したのです。

    この社会構造は、教育のあり方にも色濃く反映されました。「教える先生」と「教えられる生徒」という明確な境界線。偏差値という画一的な物差し。企業に入れば「リーダー」と「フォロワー」というピラミッド構造の中で、上司の指示を完遂することが最大の成果とされました。追いつけ、追い越せと背中を追う時代において、それは最も効率的なシステムだったのかもしれません。

    しかし、いざ先頭に立ち、追うべき背中がなくなったとき、私たちは立ち止まってしまいました。

    効率を極めた先に何があるのか。今、私たちが真に求められているのは、単なる改善ではなく「新しい価値の創造」ではないでしょうか。

    新しい価値とは、画一的な組織からは生まれません。異なる価値観を持つ人々が本音で議論し、思考を深める中で、まだ誰も気づいていない世界を形にしていく。そのプロセスそのものが、価値創造の源泉なのです。

    ここで問われるのは、知識の量や経験の長さではありません。持っている知識をどう編み直し、昇華させるか。そして、それを成し遂げるためのエネルギーをいかにして生み出すか、という点に尽きます。

    一人ひとりが主体性を持ち、「何かを成し遂げたい」という強い意志をぶつけ合う。そこには、役割としての「社長」や「部長」はあっても、人間としての上下関係はありません。お互いに学び、刺激し合い、共に高まっていく。この「共育(ともいく)」の関係こそが、集団の力を最大化させるのです。

    私は、この「共育」の精神を、地域創生の核となる「風土産業」に実装したいと考えています。

    その土地にしかない歴史、風土、そして人。それらに立脚した産業を興すとき、従来の古いピラミッド組織は必要ありません。目指すのは、関わるすべての人々が主役となる「小さな共同体」です。

    かつてエンジンの内部現象を可視化し、エンジニアたちが本来の喜びを取り戻したように、地域の可能性を見える化し、共に汗をかく仲間を増やす。その共同体が活性化し、成長していくための栄養素こそが、共に育ちたいと願う「共育」のエネルギーであると私は信じています。

    効率を超えた先にある、人間味あふれる産業の形。風土に根ざし、人が輝く未来を、私はこの「小さな共同体」から創り出していきます。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記  その3(3)

    3.3 俯瞰と無知の自覚――未来を創る「モデル」の力

    技術開発の最前線で私が痛感したのは、「部分の最適化」をいくら積み上げても、けっして「全体の革新」には至らないという冷厳な事実である。

    エンジニアは、往々にして自分の担当する小さな部品や特定の性能に没頭し、その「殻」に閉じこもってしまいがちだ。しかし、世界一のエンジンという巨大なパズルを完成させるには、まず全員が同じ「完成図」を俯瞰していなければならない。今、自分たちが挑んでいる技術は、エンジンの基本機能であるエネルギー変換のどの部分を担い、全体の理想状態にどう寄与するのか。

    この「全体俯瞰」の視点こそが、バラバラだった個々のエネルギーを一つの巨大なうねりへと変える。

    そして、俯瞰と同時に重要だったのが、「何が分からないのか、何を知らないのか」を明確にするという勇気である。

    従来の経験則に頼る開発では、ベテランの「勘」や「度胸」で曖昧に片付けられていた領域があった。しかし、限界を突破するためには「なんとなく」を許さない。なぜ燃焼が不安定になるのか、なぜそこで熱が逃げるのか。分かっていない事象を、一つひとつ白日の下に晒し、「分からない」という事実をチームの共有財産にする。そこからすべてが始まった。

    この「無知」を「知」へと変えるための強力な武器が、モデルベース開発(MBD)であった。

    エンジン内部で起きる目に見えない現象を、物理法則に基づいた数式やモデルへと落とし込んでいく。このプロセスにおいて、モデルは単なる計算ツールではない。それは、エンジニアたちが共通の言語で語り合うための「対話のプラットフォーム」となった。

    「分からないこと」をモデル化しようと格闘する中で、本質的な課題が浮き彫りになり、進むべき道が照らし出される。試作と実験を繰り返す「手探りの開発」から、理論に基づき結果を予測する「確信の開発」へ。この転換が、開発のスピードと精度を劇的に引き上げたのである。

    振り返れば、リーダーの役割とは、進むべき方向を事細かに命令することではなかった。現在地(厳しい経営状況)を正しく共有し、理想の姿(エネルギー変換の極致)を俯瞰させ、何が課題か(分からないこと)を共通言語化する。この三つが揃ったとき、組織は自律的に動き出し、個人の能力は限界を超えて発揮される。

    産業人として私が経験したSKYACTIVの奇跡は、特定の天才が成し遂げたものではない。自分たちの置かれた状況を正しく認識し、本質に向かって心を一つにしたとき、どんな困難な壁も、それは新たな「成長曲線」の始まりに過ぎないことを、私たちは証明したのである。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記  その3(2)

    3.2納得できる腹に落ちした目標――「改善」から脱却と「本質」への飛躍へ

    私はマツダに入社して以来、約35年にわたってエンジンの性能開発に心血を注いできた。そのうちの25年間、私が信じて疑わなかったエンジニアの使命とは、掲げられた定量的な目標値を一つひとつ着実にクリアしていくことだった。

    「燃費を従来モデルより5%改善せよ」「最高出力を10馬力向上させろ」

    当時の自動車業界において、これらは絶対的な「正解」だった。日本のエンジニアたちは、この愚直なまでの改善努力を積み重ねることで、日本の自動車技術を性能、信頼性、品質のすべてにおいて世界一の座へと押し上げた。そのたゆまぬ努力には、今も心から敬意を表したい。

    しかし、戦後から50年以上も続いてきたこの「改善」のサイクルは、ある壁に突き当たっていた。

    技術には、成熟度を示す「成長曲線」がある。従来のやり方の延長線上では、すでに改善の余白はほとんど残されていない。いわば、乾いた雑巾をさらに絞るような状況だ。それでもなお、多くのエンジニアがかつての成功体験に縛られ、従来の思考回路から抜け出せずにいた。

    そこで私は、SKYACTIV ENGINEの開発にあたり、これまでの「目標」のあり方を根底から見直すことにした。

    武田,羽山,岡,山崎:「エンジニアとしての考え方と共育の考え方を重ね合わせ新しいワクワク基盤を創ることへの挑戦」,日本機械学会年次フォーム2022,2022年9月

    私たちが立ち戻ったのは、性能値の改善という「結果」ではなく、エンジンという機械の「原理原則」だった。

    エンジンとは本来、空気と燃料という「化学エネルギー」を取り込み、燃焼によって「熱エネルギー」に変え、それをピストンの上下運動という「運動エネルギー」へと変換する装置である。ならば、理想のエンジン、すなわち「世界一のエンジン」とは、このエネルギー変換の効率を、物理的な限界(理想状態)まで限りなく近づけたもののことではないか。

    この仮説に基づき、私たちは性能項目を追うのをやめ、「エネルギー変換率」そのものに焦点を絞った。何がエネルギーの損失を招いているのか、その阻害要因を解明し、コントロールする。これこそが、真の技術開発だと定義したのである。

    当初、現場のエンジニアたちには戸惑いもあった。これまでは改善アイデアを出し、試作しては実験するという「手」を動かす開発が主流だったからだ。目に見えないエンジン内部の現象を解析し、数式やモデルとして組み立てるというアプローチは、あまりに抽象的に見えたのだろう。

    しかし、いざ手を付けてみると、現場の空気は一変した。 これまでブラックボックスだった現象が次々と可視化され、理論が裏付けられていく。そのプロセスは、エンジニアたちが忘れていた「未知を解き明かす」という技術開発本来の楽しさ、そして喜びを呼び覚ました。

    「自分たちは今、成長曲線のどの地点にいて、次にどの山に登るべきか」

    現状を客観的に見つめ直し、物理的な本質に基づいた共通の目標を持てたこと。それが、単なる「改善」を超えて、新たな地平へと踏み出す大きな一歩となったのである。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記  その3(1)

    3.1 状況が人を動かす――リーダーとして考えたこと

    バブルの熱狂が去り、マツダはかつてない窮地に立たされていた。フォード・モーターの資本を受け入れ、再起を図る日々。経営の立て直しという至上命題のもと、資産は切り売りされ、投資は極限まで絞られた。当然、莫大な資金を要する「新型エンジンの自社開発」など、許されるはずもない。代わりに突きつけられたのは、フォード製のエンジンを採用せよ、という合理的な選択肢だった。

    しかし、現場のエンジニアたちの魂は、その合理性に抗っていた。マツダのアイデンティティである「人馬一体」の走り、あの小気味よい「キビキビ感」をお客様に届けるには、既存の借り物では到底及ばない。

    「どうすれば、この絶望的な状況で新エンジンを作れるか」、挑戦は、そこから始まった。合言葉は「世界一のエンジンを定義し、フォードすらも欲しがるものを作る」こと。誰の目にも明らかな価値を生み出せば、道は拓けるはずだ。そうして関係者全員が心を一つにし、結実したのがのちの「SKYACTIV ENGINE」である。

    振り返ってみて、当時のリーダーであった私が「世界一を目指せ」とか「フォードに恩を売れ」と、声高に指示した覚えはない。むしろ私が心を砕いたのは、その逆のことだった。私は、マツダが置かれた厳しい経営状況や、提携先とのパワーバランスを、できるだけ生々しく、かつ定量的なデータとして現場に示し続けた。隠しごとのない「不都合な真実」を、包み隠さず共有することに徹したのだ。状況を正しく知ったとき、人は変わる。エンジニア一人ひとりが、今の危機を「自分ごと」として捉え始めた。自分はこの状況下で何をすべきか、何ができるのか。自問自答し、仲間と夜を徹して語り合う中で、彼らは自発的に自分たちの進むべき道を決めていった。

    その熱量が、熱効率で世界一を塗り替えるエンジンの構想を産んだ。構想を実現するため、彼らはエンジン内部で起きる複雑な現象を徹底的に解析し、緻密な定量的モデルを構築するという、気の遠くなるような挑戦に自ら飛び込んでいったのである。

    リーダーの役割とは、トップダウンの命令を下すことではない。関わるすべての人々が主役となり、その持てるエネルギーを100%発揮できる「場」を整えることにある。

    「こうしろ」と指図するのではなく、「今、我々はここにいる」という状況を正しく、深く共有すること。事実を鏡のように映し出すことが、結果として組織の意志を研ぎ澄まし、不可能を可能にする最大の原動力になるのだと、私は確信した。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その2

    原風景、なぜ風土産業を思ったか

    幼いころの思い出

     私が風土産業への思いを発信した原点・背景・状況は、幼いころの思い出・原風景が現在の私のエネルギーだと考えます。そのことを共有したいと思います。

     昭和22年生まれの私は、終戦直後の貧困の中で育ちましたが、今思い起こしても、つらかったという思いはほとんどなく、むしろ自然の中でのびのびと、たくさんの友達と山や海で遊びまわった思い出が強く残っています。小学生の頃は、学校から帰るとすぐに裏山に上り、セミやバッタを追いかけ、のどが乾いたら木に実っている果実をかじっていました。山で大汗をかいたら、次には家の前の海に飛び込み泳いだり、時には自分でゴカイを掘って魚釣りやアサリやカニをとって遊んでいました。

    日本経済の高度成長の裏で

     しかし、いつの間にか海はヘドロで汚れ泳ぐこともかなわない、裏山は崩されて団地になり、私が幼いころに走り回り遊んだ自然はなくなってしまった。今の子供たちは、どこで何をして遊んでいるのだろうと思います。日本経済の高度成長の一方で、公害が問題となりいまだにその後遺症に苦しんでいる人々もいます。機械工学に生きることを決心した私は、何か世の中に役立つものを生み出したいと思いつつも、できれば一生現場で手を汚しながら自らの手で何かを生み出したいものだと考えていました。果たして私に何ができるのか、考え抜いた末にたどり着いたのは以下のようなエンジニアになることでした。

     ナイロンやビニールを考えだし作り出したエンジニアの方々は本当に素晴らしいことを成し遂げ、世界中の人々の幸せに大いに貢献したと思います。しかし一方で、ナイロンやビニールは、土の中に埋めても、海に流しても決して消えてしまうことはないのです。それは、人間の知恵と力で地球の輪廻の持つ力を越えたものを作り出してしまったのではないでしょうか。ナイロンやビニールは確かに人間を幸せにしたかもしれないが、地球という大きなエネルギー循環から見るとはみ出し者を創ってしまったのではないかと私は考えました。ナイロンやビニールに代表されるように、人類社会にとって価値あるものを作り出すことはとても大切なことであるし、それを志すエンジニアも素晴らしいが、それならばその結果として生み出されたもの、地球の輪廻の循環の外になってしまうものを、もう一度輪廻の循環の中に取り込める技術があってもよいのではないか、むしろそれが必要でありそれを志すエンジニアも大切になるはずだ。私はそのようなエンジニアの一人になりたいと考えました。

     私の幼い頃感じたこと、高度成長の結果生まれた世界を見て感じたこと、これらが私の今の行動のエネルギーになっています。

  • 羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その1

    風土産業への思い

     光があり、風が野山を吹きわたり、土のにおい、清らかな水、トンボやカエル、そして子供や知の笑い声、、、すべての生命を育む地球。そこには、田畑を耕し土からの恵みをいただく、木を育て山からの恵みをいただく、川や海から多くの恵みがある。それは、地球に生命が誕生してから、世代を越えて、あらゆる地域で繰り返されてきた地球の輪廻に根差した営みであり、人間だれしもが懐かしく思う風景である。そのような風景を人が懐かしいと思う心は同じであろうが、しかし同じ風景は一つもない。人々はその独特な風景や地域を愛し、その中で生活を営んできた。人々が生活を営むに十分な“エネルギー”を地球からいただき、そして自然・地球にお返ししてきた(地球の輪廻)。この“エネルギー”と人の営みが綜合されて、その地域特有の文化が生まれ、形成され、伝承されている。

    今、感じる違和感

     一方で、時の流れとともに、人間の価値観も少しづつ変化し、今の時代は、効率が一番。それを追求した結果、人間にとって便利なものを安く・大量に生産し、富を追求することが「正」とされるようになっているように見える。果たしてそれだけでよいのであろうか。物の持つ便利さという価値だけに注目していいのであろうか。便利なものを作り出すことに携わっていることに満足していいのであろうか。人間らしい豊かさの本質はそれらとは別のところにあるのではなかろうか。人間だれしもが懐かしく思う風景やその地域での営みや文化を温めなおしてみたいと感じている人も多いのではなかろうか。

     しかし、外から眺めて懐かしさを感じるだけでは何も生まれてこない。自然の中、地域に自分の足で立ち、風を感じ、土のにおいをかぐことで、地球の持つ”エネルギー“や自然の”力“と自分が共に生きていることを、「自分ごと」として実感できる。そして、その実感が重なり合うことで、人々の間に共感が生まれ、その共感が人々のおかれている状況を変革していく力となる。そこでは、上下関係はなく、答えを持っている・知っている人が偉いわけでもなく、おかれた状況を一人一人が真剣に考え、語り合うことで、フラットな関係ができ、共感と共に共同体が構築される。

     風土産業へ

     農業、林業、漁業、工業、商業、それぞれにかかわる人々が、それぞれの役割を「効率」に向けて果たすのではなく、地球の“エネルギー”や自然の“力”とのかかわり、さらには、これまでの産業の歴史(繁栄だけでなく衰退や災害)・文化(お祭りや風習、気質)も含めて、より一層深く原理原則(機能)のつながりとして俯瞰的に理解し、わかったこととわからないことを明確にし、謙虚に受け止めることが大切である。わからないことの解明に挑戦し続け(実験・研究の役割)新たな理解を得ることで、新しい技術を獲得し、それをビジネスの核として再構築し社会に実装する。ここに、これまでの常識の殻を破った新たな価値を生み出せる可能性が秘められている。

     美しい風景の裏に秘められている地球の輪廻の理(ことわり)を、自分ごと化して再発見し、そこで生活を営む人々と思いを重ね・刺激しあい、共に育つことで、単にエネルギーが足し合わされるだけでなく、人々の持つエネルギーがお互いに増幅されるような状況を生み出し(共育)、新しい価値を創造すること、それが風土産業であると考える。