羽山信宏のつれづれなる風土産業記 その6

備後絣 —伝統の「糸口」から紡ぐ新たな価値—

訪問の背景と目的

2026年3月、風土産業研究所の仲間である武田さんとともに、広島県福山市神辺(かんなべ)を訪れた。今回の目的は、武田さんの知人であり、現地で花﨑リボン株式会社を経営されている花﨑吉隆さんにお会いすることである。繊維の街として知られる福山の地で、日本三大絣の一つである「備後絣(びんごがすり)」の歴史や現状、そして未来への思いを伺うべく、実りある対話の時間を設けていただいた。

福山の風土が育んだ繊維の歴史

花﨑さんのご案内のもと、新装された「福山城」と「福山市しんいち歴史民俗博物館」を巡り、この地に根差す産業のディープな足跡を辿った。

福山城で知る「イ草」と「綿作」のルーツ

福山城のパノラマビジョンは、古代から現代にいたる街の変遷をダイナミックに伝えてくれた。

  • 地理的背景: 古代、現在の福山市中心部のほとんどは海の中であり、瀬戸内海の「潮待ちの港」として鞆の浦(とものうら)が栄えていた。
  • 水野勝成の功績: 江戸時代、初代藩主・水野勝成は、この地の特性を見抜いて「イ草」の育成を奨励・保護。これが後に「備後畳表」として日本全国へ流通する一大ブランドとなった。
  • 綿作の広がり: 同時に勝成は綿作も奨励。これが農家の副業として定着し、のちの繊維産業の強固な土台(綿作・綿布)となった。

しんいち歴史民俗博物館で見る「備後絣」の栄枯盛衰

福山市北部の主要産業であり、現代の繊維産業の礎となったのが「備後絣」である。

  • 誕生: 江戸時代末期、芦田町の富田久三郎が考案。
  • 全盛期: 昭和30年(1955年)には、国内の絣生産量の実に70%を占めるまでに成長した。
  • 現在: 博物館では、職人たちの精緻な生産プロセスや多種多様な絣の模様が展示されており、現在は地域の方々と一体となった保存活動が進められている。

現代のモノづくり現場:花﨑リボン(株)の挑戦

今回お話を伺った花﨑さんは、小物や衣料に欠かせない「リボン」を編む工場を経営されている。現代の製造業が直面するリアルな実態について、大変興味深いお話を伺うことができた。

【花﨑社長のお話から】

リボンは最終製品(完成品)ではないため、トレンドや顧客のニーズに合わせて非常に多くの種類(多品種)が必要となる。そのため、同じものを大量に生産すればよいという時代ではない。しかし、それでも「本物のクオリティ」を求める確固たる生産依頼が今もしっかりと届いている。

この言葉からは、時代の変化に柔軟適応しながらも、福山の繊維技術の底力を守り続ける誇りと実直さが伝わってきた。

総括と考察:歴史を「保存」から「未来」へ

今回の福山訪問は限られた時間であり、備後絣の膨大な情報や、実際の生産現場のすべてに触れるまでには至らなかった。その点は一抹の心残りである。

かつて国内有数のシェアを誇り、誰もが一度はその名を耳にしたことがある「備後絣」。しかし、現代においてそれが博物館のなかの“保存されるもの(過去の遺産)”の仲間入りをしてしまっているように感じられたことは、産業の未来を考える身として少し寂しく、危機感を覚える部分でもあった。

しかし、落胆しているだけでは始まらない。

「温故知新(旧きをたずねて新しきを知る)」

集約された職人の手技、藍染めの風合い、そして花﨑リボンさんのような現代の編織技術。これらを掛け合わせることで、現代のライフスタイルに響く「新しい価値」を作り出せる糸口が必ずどこかにあるはずだ。手元にある備後絣の資料をそっと眺めながら、その「糸口」をどう手繰り寄せるか、今も思考を巡らせている。