原風景、なぜ風土産業を思ったか
幼いころの思い出
私が風土産業への思いを発信した原点・背景・状況は、幼いころの思い出・原風景が現在の私のエネルギーだと考えます。そのことを共有したいと思います。
昭和22年生まれの私は、終戦直後の貧困の中で育ちましたが、今思い起こしても、つらかったという思いはほとんどなく、むしろ自然の中でのびのびと、たくさんの友達と山や海で遊びまわった思い出が強く残っています。小学生の頃は、学校から帰るとすぐに裏山に上り、セミやバッタを追いかけ、のどが乾いたら木に実っている果実をかじっていました。山で大汗をかいたら、次には家の前の海に飛び込み泳いだり、時には自分でゴカイを掘って魚釣りやアサリやカニをとって遊んでいました。
日本経済の高度成長の裏で
しかし、いつの間にか海はヘドロで汚れ泳ぐこともかなわない、裏山は崩されて団地になり、私が幼いころに走り回り遊んだ自然はなくなってしまった。今の子供たちは、どこで何をして遊んでいるのだろうと思います。日本経済の高度成長の一方で、公害が問題となりいまだにその後遺症に苦しんでいる人々もいます。機械工学に生きることを決心した私は、何か世の中に役立つものを生み出したいと思いつつも、できれば一生現場で手を汚しながら自らの手で何かを生み出したいものだと考えていました。果たして私に何ができるのか、考え抜いた末にたどり着いたのは以下のようなエンジニアになることでした。
ナイロンやビニールを考えだし作り出したエンジニアの方々は本当に素晴らしいことを成し遂げ、世界中の人々の幸せに大いに貢献したと思います。しかし一方で、ナイロンやビニールは、土の中に埋めても、海に流しても決して消えてしまうことはないのです。それは、人間の知恵と力で地球の輪廻の持つ力を越えたものを作り出してしまったのではないでしょうか。ナイロンやビニールは確かに人間を幸せにしたかもしれないが、地球という大きなエネルギー循環から見るとはみ出し者を創ってしまったのではないかと私は考えました。ナイロンやビニールに代表されるように、人類社会にとって価値あるものを作り出すことはとても大切なことであるし、それを志すエンジニアも素晴らしいが、それならばその結果として生み出されたもの、地球の輪廻の循環の外になってしまうものを、もう一度輪廻の循環の中に取り込める技術があってもよいのではないか、むしろそれが必要でありそれを志すエンジニアも大切になるはずだ。私はそのようなエンジニアの一人になりたいと考えました。
私の幼い頃感じたこと、高度成長の結果生まれた世界を見て感じたこと、これらが私の今の行動のエネルギーになっています。


